第4期-明日への胎動-

(1)地域密着複合施設の建設

「大泉学園実習ホーム」が、設立前の黎明期から志向してきたのは、地域に根ざし、(たとえ障害があったとしても)地域を支えることである。具体的な実践は、地域のニーズを探り、必要なサービスを提供すること、もし、必要なサービスが存在していないのならば自らが開発して社会に投入することである。「実習ホーム」が終始一貫して提唱しているソーシャルワークとは、この一連の活動である。
そのために、より地域のニーズを吸い上げられる地域密着型の拠点が必要になった。そこで「大泉学園実習ホーム」と(福)章佑会が共同で、一階に高齢者の小規模多機能型居宅介護を配し、その上階に高齢者の賃貸住宅を重ねる案を作った。できれば、そこに障害者のグループホームを併設して、仕事の一環として高齢者住宅の管理・清掃を行うことを理想とした。建築と運営は(福)章佑会が担うことにした。土地を探していたところ、理想の国有地(一般競争入札)が見つかり、運よく落札できた。

平成20年3月 複合型施設「やすらぎガーデン」を開所する。
1F:小規模多機能型居宅介護事業所(定員25名)、2F・3F:障害者グループホーム・ケアホーム2棟、4F・5F:高齢者賃貸住宅(7部屋)

(2)自立支援法への移行準備

さかのぼって平成15年は、障害者福祉にも大きな変革があった。措置費から支援費制度に切り替わったのだ。これは平成18年からの障害者自立支援法施行の準備期間のようなものだった。
「実習ホーム」のような法外作業所は関係なかったが、法内施設を運営する社会福祉法人にとっては措置費の終焉を意味し、大幅な意識改革を迫られた。

障害者自立支援法の施行は、障害者福祉の考え方を大きく変えた。まず、ほとんどの事業に株式会社やNPOなど多様な法人が参入できるようになった。需要があれば容易に事業を開始できる。一昔前は社会福祉法人を設立するのに全財産を寄付するなど悲壮感が漂っていたものだが、現在は気軽に事業参入できる。事業を行う業者間の競争が激化するのは避けられない。競争は福祉業界や利用者にとって、はたして有益なのか。答えを出すには、もう少し時間が必要だ。

ただ、この競争が福祉業界の体質を大きく変えることだけは間違いない。高齢者福祉の今を見れば、障害者福祉の将来を予想できる。
高齢者福祉の分野では、一足先に公的介護保険が施行された。その結果10年が過ぎて高齢者福祉を担う業者が、性格上大きく二つに分れはじめている。
一つは、措置費時代を彷彿させる従来型。ほとんどが社会福祉法人だ。
もう一つは、表面こそ社会福祉法人やNPO法人だが、思考の中身が完全に株式会社そのものである会社型だ。一部の先進的な社会福祉法人や株式会社がここに含まれる。
従来型の特色は、措置費時代の体質を温存しており利益を度外視してまでサービス提供するDNAをもっていることにある。反面、必死になって顧客を獲得しようとする意欲に欠ける。
一方の会社型は、徹底的に無駄を省いて、効率的な運営に徹している。顧客の獲得や囲い込みに余念がない。

現在、高齢者福祉の分野で顕著なのは、会社型が急激に勢力を伸ばしていることだ。特に目立つのは、表面こそ社会福祉団体だが、実態は裏にいる株式会社が行っている形態だ。社会福祉法人の皮をかぶった株式会社と言える。ここ何十年間は高齢者が増え続ける。膨大なマーケットが存在する以上、このような形態での企業参入は必然だ。
従来型が、福祉は地域密着だからと安穏(あんのん)な気持ちで運営していると、会社型は、その隙をついてマーケットを侵食し始めるだろう。資本力にものを言わせて、圧倒的なスピードで進出してくる。従来型に勝ち目はない。
小売りの世界で、巨大店舗が地元商店街を潰していった光景と似ている。

先ほど福祉業界の体質を変えると言ったのは、従来型の社会福祉法人が体質を変えると表現したほうが正しい。従来型は、過酷な競争に晒されながら、徐々に会社型に近づきつつある。典型的な社会福祉法人を例にとれば、それまで事務と一言でくくられていた中身が、実は企画、開発、財務、人事、…と、多岐にわたることを自覚した段階である。現在、これらの機能を組織に埋め込む作業を進めている筈である。それが終わった段階で、ようやく会社型と渡り合える形が整えられるのだ。そのとき、改めて福祉業界を俯瞰すれば、今とは全く違った光景になっているだろう。

このように福祉の環境が激変しているなかで、「実習ホーム」にも大きな変革の波が押し寄せてきた。
「大泉学園実習ホーム(第一)」は、これまで練馬区の通所訓練事業という位置付けで、愛の手帳2~4度の方が、「第二」は主に精神的疾患をお持ちの方が通っていた。しかし、この制度も平成22年度をもって終了してしまう。新法の施行に伴ってこれまでの役目を終える。
そこで、平成20年に入って、「第一」と「第二」共に障害者自立支援法(新法)への移行準備を開始した。

新法の事業形態は、就労継続支援、就労移行支援などと称され実態が極めて解りにくい制度だったが、移行に備えて、いくつかの作業を試みることにした。
特別養護老人ホームの清掃と寮母さんの補助(ラビット隊)、高齢者賃貸住宅の管理と清掃、
有償家事援助(ホームヘルパー)などを、将来の就労場所と想定して作業を行った。
この事業は(特)ヒュール総合研究所が担い、東京都の平成20年度東京都障害者職域開拓支援事業のモデル事業に選ばれた。

「第一」と「第二」の通所者は、高齢化も手伝い徐々に重度化していた。既存の作業所は賃貸物件のため、必要な設備を整えることができず通所者に不便をかけることも多々あった。そこで新法移行の際は、重度化への対応を考慮に入れた新たな施設建設の必要がでてきた。
そこで、新たな通所施設の建設にも着手した。
施設の名称は、(仮称)大泉学園実習ホーム改め「やすらぎ夢工房」。生活介護、就労継続B型、就労移行支援の複合型である。施設の建設・運営は(福)章佑会が担う。
施設開所は平成24年4月1日、「第一」と「第二」の一部通所者が移動する。
準備は整った。

(3)卒業

平成23年3月31日、卒業式。
通所者59名の名前が順次読み上げられ、園長から卒業証書が手渡された。
そして60人目、最後の名前が呼ばれた。
「礽答院房子(きとういんふさこ)」
「大泉学園実習ホーム」が昭和52年8月15日に産声をあげたときの初期メンバー二人のうちの一人だ。
34年前の開所式の日、お母さんに見守られて、心細そうに立っていた姿が想いだされた。房子さんのことを最も愛し、行く末を案じておられたお母さんも、すでにお亡くなりになられた。
園長の八重子は、おそらく房子さんのことが心配で天国から式に駆けつけてきているだろうお母さんに語りかけた。
「何も心配することなかったでしょ。見て、この笑顔」

八重子は、大きな歓声と万雷の拍手で我に返った。
房子が皆から祝福を受けていたのだ。
現在の「実習ホーム」は10代や20代の通所者が増えている。房子は、その中でお母さん役でもあるし、お姉さん役でもあった。
頼もしい後ろ姿が涙で曇った。

八重子は、この歓声の中で久しく忘れていた夫・芳規の声を、確かに聞いた。
「まだ、まだ…」
気遣いでも、慰めでもなかったと思う。
溜息を一つついて、記念写真のために表に出た。

激動の時代を駆け抜けた「大泉学園実習ホーム」は静かに34年間の幕を閉じた。